ヒーロー

kaijinsha2005-02-19

 歴史上最もギリシャの空が澄み渡っていたと言われていた日、あろうことか、ヘラクレイトスは自暴自棄を必死に抑えつつパチスロに興じていた。

 一枚、二枚と飲み込まれていく最近で言うところの「野口英世」の群れ。眠れぬ夜に羊を数えるがごとく次々と消えていく札束を見送りながら、そしていつまでも回り続けるスロットに眉間の皺を寄せながら、彼は表面張力でギリギリ保たれたリミット一杯の理性の中呟いた。
 ・・・「万物は流転する」・・・・
 キリストまたぎの約2500年前のお言葉である。

 すなわち森羅万象全ての物事は毎瞬間生まれ変わり変化し続けるわけで、あの純朴だった田舎の友は、都会に出ては現代社会に染まり、正月に帰省しては故郷を愚弄するのである。

“変わらないもの”
 −−−道端に落ちた宇宙を見つけるようなありえない物事として伝えられてきた“変わらないものなど存在しない”という伝説。
 なるほど、「俺は俺だ!」と意気がってみても毎朝体毛の変化はあるだろうし、胃の中身が全く同じである事も無いだろう、

 そう言われれば全てが流転してるような気がする。

 が、しかし、やはり変わらないものもある!と思えるのが人間。「だって人間だもの、私の思い出は色褪せないわ!!」とセンチメタリストは声を荒げるかもしれない。

 そこで、ヘラクレイトスを真に受けるのもなんなので、自分の変わらないものを脳内セルフコンピュータ検索してみた結果、クリックと同時に浮かんだ答えがある。それこそが、『エイチ、イー、アール、オー』こと『HERO(ヒーロー)』。そう、誰しもが心のビップ席に居座らせている特別な存在、『This is aヒーロー』その人(等)である。
 ヒーローこそが“変わらないもの”であり、誰になんと言われようが、声を大にしてこのコンクリートジャングルに叫びたいものなのである。

 そう『ヒーローこそが不変である!!』、と。

 確かに現在のマラドーナを見て、あれがヒーローだとは思えないかもしれない。が、しかし、多くのサッカー野郎の頭の中では、今だに誰よりもキレのあるドリブルで駆け抜けるマラドーナが今も存在しているのである。

 ヒーローとは、あの日・あの時の輝きが他人の中で、本人が太ろうが死のうが生き続ける奴らのことなのである!

 ・・・とはいえヒーローもその在り方は様々なわけで、その中でもとりわけ誰にでも(最近ではそうでもない人が増えてるが)当てはまるヒーローがいる。誰の心のビップ席にも確実に腰を下ろす重鎮、その名も『両親』である。

 あそこまで無償で俺等の為に身を削れるヒーローを俺は知らない。

 背中で語れるヒーロー。そしてこのヒーローは、なんといっても自分が危機に陥りそうな時、頭に浮かぶという特性を持っている。自分が悪業を働きそうな時や、働いた時、時間差はあれ決まって現われてはこう考えさせられる、【きっと悲しむダロウ】と。

 ・・・ 結局、万物が流転するかどうか?

 しないんじゃない?

 ぐらいな感じである。