生きがい

“生きるということとは?”いきなり一介の鹿児島人にはデカすぎるテーマである、難しく考えてたら宗教ができてしまうこともある万年規模の難題、難しすぎてもう二年も色を揃えられないルービックキューブがよく見たら七色ある、みたいなもんである。つまり確かな答えなんか無いわけである。が、確かな答えなんか無くても最低限の答えが有るのが“生きる”ということであり、僕がここに一つの答えを定義するならば、“飯を食うこと”これが答えであると思う。飯を全く食わずに生きてる奴なんていないわけで、結局人類は飯を食う為、食わせる為に働いているわけで、子供も食えるようになるために勉強しているわけである。 しかし、飯を食ってはうんこを作り、食わせてもらってはうんこを作る そんな掛け捨てエンドレスの生活に虚しさを感じてしまうのも仕方がないことである、そこで、そんな虚無感の埋め合わせに登場するのが“生きがい”である、最高のパターンとしては仕事そのものが生きがいであればいいわけだが、なかなかうまくも行かないもんで、皆
なにかしらに生きがいを見つけてなんとか生きているわけである。誰にでも生きがいはあるわけだが、学生としての(大学三年生)僕の生きがいと言えば、ずばり友人を困らせることである。ゴキブリを見つけた主婦が意地でも叩き殺すように、僕も友人を目の前にしたら、意地でも「もう、やめてよ!」の一言をもぎ取りにかかってしまう。毎回笑いのうちにほとんど和やかに事が運ぶのだが、稀に友人が彼女に振られた時のように、しみったれたネガティブオーラを纏っている時があり、「おっ、振られたって。そりゃそうだぞ。」とストレートに傷つけてしまう。少しばかり他人に迷惑を掛けてしまうのが難点だが、それなしでは親に誓った大学卒業を成し遂げられない空気を敏感に感じているので 友人には悪いが 俺の自己満足に目をつぶってもらおうと思う。 しかしながら “生きがい”は深いテーマである、掘り下げていったらそのまま地上の光が届かなくなりそうである。生きがいについてはまだ思うところがあるので、来週募る思いをぶつけようと思う。

僕と屍とヘルメット

「ヘル中スタイル」

 田舎では、ヘルメットにチャリンコという、安全の上に安全を重ねたダサい格好の通学スタイルが蔓延している。
 僕もご多分に漏れず、中学時代はヘル中スタイルの達人として、毎日を過ごしていた。

 僕の町では何故か町からチャリンコが支給される。
 ヘル中スタイルに身を包んだ僕は、その安全性を過信するかのように、誰よりも早く、誰よりも先に、車よりも速く、全ての走る者に対して対抗意識を燃やしていた。

“いつか車を抜き去りたい”

 かつて多くのサッカー少年がそうであったように、僕もまた日向小次郎に憧れてサッカー部に所属していたクチである。
 ある日の部活帰り、チャリンコにまたがった僕は、いつものようにひたすらスピードを追求して完全にハイになっていた。

“俺が最速だ”

 足が回る。リズムがいい。この日の僕はすこぶる調子が良かった、下半身と上半身は見事なまでに連動し、チェーンと車輪の織りなす鼓動を心地よく感じていた。

“今日はいける!”

あの頃の僕は、自宅までの下校タイムを塗りかえることに青春を注ぎ込んでおり、この日は記録を塗り替える絶好の機会であった、とにかく全てが順調であった、少なくともあの時までは・・・
そのスピードは尻上がりに光に近づき、ついには自宅まで残り二カーブ、このカーブがくせ者で、最短距離をいかにスピードを殺さないで曲がれるか、 これにかかっていた。

 最短距離を攻める為縁石に乗り上げるギリギリを攻める僕、右手には閑散とした公園があるが、スタンデ
ィングオべーションが聞こえてきそうである。

「俺の勝ちだ、・・・・・・・・うは!!!!」

 たぶん “うは” って口走ってたんだと思う、 街灯の無い真っ暗なこうえんの入り口、学校によくある椅子に老人が座っていた。
風貌が屍である、暗闇を照らすチャリンコライトに突如浮かび上がる屍、絵図らのホラーテイストさにリズムを失った僕、チャリンコと僕のシンクロは解け、叫びながら縁石に躓き、 慣性の法則に従って記録的な転がりを見せた。
致命的な時間のロスである、もう新記録は無理であった、しかしながら、記録を諦めた僕の前には 以前として少年の若さ溢れるクラッシュに眉一つ動かさない老人の姿があった

“死んでる?”

本気で心配したが 目線を感じた、どうやら目が合ってるようなので 死んでないこと は分かる、にしても 何一つ語らずひたすらこっちを凝視してる老人にただならぬ恐怖を感じ、人に襲われたゴキブリのように擬音で言うところのカサカサ逃げ帰った、「・・・・」自宅までの100メートル程人間が一番恐いと誰かが言ってたことを思い出し深く共感した、家に着き、チャリンコを止め、ヘルメットを外した時 スタボロになっているヘルメットに気付いた。 “こいつが居なかったらあのじじいに殺されていたのかもしれない” 中学生活愛情を注いで 被り続けたヘルメット、 なんか久々に被りたくなった。

とうちゃんの背中

kaijinsha2005-07-04


七月二日深夜、いつもと違うのは、僕のベット上でアパートの静寂を必死に打ち破ろうとしているうちのとうちゃんの姿があることであった、「うっ、うるさすぎる!」This is a世紀末級のイビキ、己がそこにいることをアピールする最上級の行為である、実家にいる頃からそのポテンシャルの高さには気付いていたのだが 久しぶりに至近距離で静聴してみると あの頃よりもはるかに多彩なバリエーションと老獪なテクニック、ボリュームこそレベル100から動いてはいないが、確実に眠りを妨げる殺傷能力が増していた、「がーっ、ごっ、がーっ、ごっ、・・」以前はこのようなテンポが続くリズミカルなイビキだっただけに、そのうち気にならなくなっていたものであるが、現在では、五十音をフル活用し「ガーッ、ごっ、ふぁーっ、はっぐ、ヴはぁー、にっ、ふっ、ふーっ」と、文字で正確に伝えられないのがもどかしい常に変化しつづけるトリッキーなスタイルに進化を遂げていた。 仕事の出張で出てきたらしく、突然泊りに来たわけだが、疲れ果てたであ
ろう父をいたわる僕の心も彼のボディーブローのようなイビキダメージの蓄積に音を上げる 意を決して枕元に立ち父の鼻をつまむところまで行ったのだが、 ふと 彼の背中が目についた とおちゃんは僕に背を向けて寝ていた、たまたまだろうが 「それはそれで気をつかってんだなぁ、」背中越しに聞こえるイビキに、なんか息子に気をつかってるように感じた “息子を思いやる背中”なんかそんな気がしたので、鼻をつまみにかかっていた右手はしまい、我慢して寝ることにした、眠れぬ深夜、 とうちゃんの背中について考えた 何だかんだじっくり眺めたのは今日が初めてな気がするのだが、父の背中を見て育った気はする、「ぐやぉー、ぐっ、ぐーっ」こっちの気持ちはお構いなく無尽蔵のスタミナを披露し続けるとうちゃん、なんかしらんが わらけてきた、もう一度とうちゃんの背中を眺めてみると、背中がイビキをかいてるように見えてくる。 さらに笑いが込み上げてきたところで、やっと眠りについた。

あの日の宝物

kaijinsha2005-06-26


みなさんこんにちは、ワタシは生きてきた分だけ増え続けていく思い出、そんな絶え間なく積み上げられていく思い出を愛して止まない男、通称思い出至上主義者こと三福ジャガーです。 世の中は思い出で溢れています、朝目覚めた時、たまに自分の体が心配になる程付着して湖を形成している枕の涎、眼鏡を掛けたまま寝てしまったはずなのだが布団近辺に見当たらない眼鏡、玄関を開けると予想以上に降っていた雨、朝起きてから玄関出るまでだけでも いくらでも思い出の要素が出てきます、そんな 無限にあるであろう思い出ですが、今回取り上げたいのは、その中でもプレシャスタイムとして特大の輝きを放つ“あの日の宝物と僕”というカテゴリーの思い出です、 僕の場合、初めて買ってもらった自転車、これこそがかけがえの無い“あの日の宝物”誰も踏み入ることの許されない聖域なわけです、あの頃の僕はあいつに夢中で、あばたもえくぼ とはよく言ったもんで どんな欠点も愛しく見えたものでした、親のセンスで選ばれし、見ず知ら
ずのヒーローが描かれていた その白黒のボディー、名前も知らぬヒーローに僕は無邪気にまたがり続けました、また補助輪付きのあいつは、真っすぐ漕いでるつもりでも必ず左に曲がっていくという可愛い癖を持った、左曲がりな奴だったので いつも右に行く感じで真っすぐ進んでいました、完全に壊れていただけなのですが、片方の肺が無いことを自慢する中年のように 会う奴会う奴に左曲がりのそいつを自慢していました。そしてその頃、そいつこそが最速だと愛故に信じ込んでいたので 友人と坂に差し掛かろうものならそいつの力を誇示するために 僕はいつでも120%の力で坂を駆け上がりました、・・・・etc 少し思い出すだけでもそのプレシャスっぷりに涙がとまりません、僕は確かにあいつを溺愛していたのです、そしてそんな僕の愛に確かにあいつも応えてくれてました・・・ そして半年ほど前、もう一度またがりたい!その一心で実家の車庫にて久しぶりにそいつと再開したのです、「・・・・ーっ。」ほとんど声になりませ
んでした、全身を茶色くコーティングした分厚い錆、ガングロになっていました、さらにトッピングとして張り巡らされた蜘蛛の糸推定一万本、メッシュも入れてあったわけです、 見ず知らずのヒーローの顔がうっすら見え隠れしているので間違いなくあいつでした、不良になってました・・・あんなに純粋で田舎者丸出しだったのに、再開も束の間、僕はそこで見たことを無かったことにすることにしました、ついにあいつまたがってやることは出来ませんでした。 スクラップ、それがあいつの幸せなのだと悟りました。 みなさん 思い出は美しいまま保存しつづけましょう。

テクノロジカルワールド

kaijinsha2005-06-19


“鏡の中に映るワタシ”人類に鏡文化が誕生してからというもの、人々は老いも若きもこの“鏡の中に映るワタシ”との戦いに毎朝MPを消費しているわけである、とりわけ女子に至ってはいつもと変わらぬ朝、ふと覗いた鏡の中で自分と同じ名前のモンスターと遭遇してはホイミやスカラの呪文をかけていつもの自分を取り戻す日常、メーキャップ&メンタルケアを施すわけである、そこにある万国共通の終わることないライバルとの死闘、負けられない戦いがそこにはあるわけである。(まぁ、渋谷などには使う魔法の種類を間違えてギガデインパルプンテを施した人間から足を洗ったような輩がいるが)しかしながら、問題になるのは年々そのライバルが力を付けて行くという悲しい現実であろう、小学生の頃はホイミで済んでいた戦いも、年々高度な呪文を要求するようになって行き、しまいには己の技量が白旗を上げ“私なりの美しいワタシ”への戦いから第一線を退くことになるわけである、耳を澄ませば♪いぃーまぁーこぉーそぉー わぁーかぁーれぇーめぇーーー
いぃーざぁー さぁーらぁーぁばぁー♪ そんな何処からともなく聞こえる卒業ソングが、消えなくなったシワにレクイエムとなって染みこんでくる、「あの頃の自分よサヨウナラ・・」誰にだって訪れる栄枯盛衰の物語、しかし それこそが文明社会に生きる人類の倫理であり、諸行無常という名の事実なのだ。 勝手なことを言えば 僕はそんな失われていく美貌をなんとか取り繕う行為が好きで、誰の目にも素顔を晒さない為のファイティングスピリットや良し!と思っていたのだが、しかし!!最近ではどうやら時代がまたとんでもない飛躍を見せているらしい、合い言葉は、ファッションとしての美容整形、お手軽になってきた美容整形が氾濫し始めているようである、お隣韓国に至っては大学生で50パーセントを超える女子が顔面を科学の力でイジッテルらしい、なんとも実に半数の子ナチュラルではないのである。そんだけ多いと気になっちゃうから韓国女性には出会ったらまずナチュラルか否かをまず自己申告してほしいものであ
る。しかしながら一生解けない奇跡の魔法美容整形、この魔法にかかれば、強力になって行く一方のはずだった己の顔面モンスターが ある日いきなりシミもなければシワもない振り出しに戻り、尚且つ以前より基礎工事がしっかりしているといった一石二鳥っぷりが実現可能なのである。 別に整形の是非を問う訳では無いが、このテクノロジーの進歩に恐怖を感じてしまうのは僕だけではないだろう、このままいったら街にはその時分のスターと全く同じ顔が溢れ、化粧も皮膚に埋め込んだチップみたいなもんが記憶していて目覚めただけでインプット通りの化粧が出来てるといった時代が来てしまう、朝起きて鏡の中に化けもんを見つける人間臭さも 悪くない気がする。

堂々とする奇跡

kaijinsha2005-06-12


声も出ない程の恐怖を覚えるホラー、僕等の間で都市伝説として確立していることの一つに“自分を見失ったファッション”というものがある、服を着ているというより服に着られているといった主従関係が逆転してしまっている人達、無駄金を使うことを金をドブに捨てる行為と言うが、彼等のファッションへの投資に関しては150キロで金をドブに叩きつけその跳ね返りで己が泥だらけになってしまう様なこの上ない無駄っぷり、つまりはマイナスへの自己投資なのである。しかしながら、ある日、僕はそんな価値観を揺さ振られる運命の人に出会う、渋谷で出会った彼女は恐らくノーメイクの顔面無法地帯っぷりの上に服だけ見れば巷でセンスがあるといわれるファッションで着飾った、つまりは違和感極まりないホラースタイルで人前に出るという行為を実行していた、が、しかし、彼女の持つ小物が僕に衝撃を与える、肩掛けの小さいブリキ製の奇怪なバッグに画面からはみ出さんばかりの巨大な一言、“LOOK.AT.ME”・・・!!!こっ、これは法で許されているのか・・・ヤー
さんに「俺を殴れ!」と脅されているようなもんである、殴ってもたぶんその後殺される。しかしながら、しかしながらである、不思議な感覚が僕の内蔵をえぐった、ランボーですら突入をためらであろうその光景は僕に新しい価値観を構築させてくれたのである、“堂々とすること”例えばある日、先生が全裸で教壇に立ったとしても、心から堂々とすることにより、なんか許せてしまう、中途半端にファッションに歩み寄ろうとしていくらかの恥ずかしさが心の内に潜んでいる奴ら、筋の通っていない奴らは見るに堪えない醜態を曝してしまう、が、しかし、そこに一言、私を見ろ!と堂々と宣言しさえすれば、どんな醜態も、一変してすがすがしい気持ちにすらなれるわけである、ある種ストリッパーと通ずるものがあるこの“恥ずかしいものは逆に堂々とすることで正当化する”という真理、是非とも舞台の上で実践したいものだ。スベッたところで堂々とする、決してアフターフォローするでもなくとにかくただひたすら堂々とする、これでいこうと思う。・・・ これからは、基本
的になんてことない日記みたいなもんを毎週土曜に書いてこうと思う。 あくまで堂々と。

その気にさせる職業

kaijinsha2005-05-21


芝生の上での語り尽くせぬ青春の日々、時には傷つき、時には喜び、肩を叩きあったあの日♪そんな長淵的青春時代、僕等の体は絶えず青春まみれだった。ふと目を閉じれば、瞼の裏には青春時代のセルフジグソーパズル、これを制作するならば、要素は数多くあれど大概の人は多くのピースを友人の顔が占めることになるであろう、そのジグソーパズルのワンピースの一人森村、草野球ではアンダースローだった森村、俺が生まれて初めてデッドボールで乱闘した相手、森村、無駄に早いアンダースローが打てなくてストレスがたまっていたあの頃。青春時代・・・なんともスポーティーだったあいつが、中学校の英語教師なったという。教師とは赤の他人にして子供をその気にさせることのできる希有な職業である、「僕は今までいろんな生徒を見てきたけど、君なら役者になれるよ」・・・夕暮れの放課後、ただなんとなく口をついた恩師の台詞に突き動かされ、6年間生きる糧だったサッカーを捨て 高校入学と同時に演劇部に入った単純極まりない男こそ ミスターまっしぐら
こと三福ジャガーつまりは俺である。 ふと発した一言で、汗まみれの6年間を否定する力すら持つその破壊力、赤の他人に人生をねじ曲げられた俺、彼等はその発言に教祖的言霊が宿っていることを自覚してほしいものである。教師は強い言霊をもつ職業であるが、そのキーワードは「今までいろんな生徒を見てきたけれど・・」であろう。他の歴代生徒との比較のうえに発される統計学的台詞、これをくらってしまえば勘違いしないほうが難しい 特に齢40オーバーぐらいからは、見てきた生徒数も大分上乗せされてきて他に類をみない説得力が炸裂するわけである。 正義の拳を天に掲げ、愛の名の下に生徒をしばき倒していた豪傑先生、 そんな正義の拳をもつ輩も子供愛護団体PTAの16ビートの口撃の前に絶滅してしまった今、森村は教師として何を思うのか、早速電話してみると、困惑色のロートーンな答えの数々、どうやら コールアンドノーレスポンスの世界に戸惑っているようである、日陰でしか自分を表現出来ないネット世代の波、国民総
電車男の時代がそこまで来ているわけである。 森村には若人をその気にさせてほしいわけだが、ネットで統計を出せる彼等に 「今までいろんな生徒を・・」が効く気もしない、彼等には炭練炭的説得力が必要なのだろう、森村が年を重ねても同じような生徒しか経験出来てない可能性も高い、教師が言霊をネットに乗せるべき時代が来ている。 それでも 正義の拳の復権を期待したいもんである。・・・しかしながら、俺はどの立場から物を言ってるのだろうか、・・・最近、五月病だと自己申告するやつが多くてめんどくさい。